関東・関西支部研究会


社会・経済システム学会関東支部研究会のご案内

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テーマ

趣旨

20世紀は機能のシステムが大きく発展した時代であった。産業革命以降の世界では、それまで伝統的な世界の中で人々を埋め込んでいた機能のシステムが激しく流動化した。それは一方で企業や諸組織の様々な役割の創出と分化、多様化という形で現れ、他方で多様な役割に適用する雇用の多様化とその流動化という形で現れた。

だが意味的なシステムに関しては、二つの大きな流れの中で、その流動化は進まなかった。一つは国民国家の成立に伴う国家あるいは民族という単位での、新たな解釈の構築である。国民国家やそこで再構築された伝統などの諸解釈についてはすでに、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』やエリック・ホブズボウム, テレンス・レンジャーの『創られた伝統』などの中で論じられている。しかしながら、日本では明治維新はまさに作られた伝統と想像の共同体を構築したプロセスであるのだが、日本においてこれを明示的に論じる作業は十分に行われているとは言えない。

他方で、意味システムの変容は世俗化のコンテクストの中でも論じられてきた。これはギデンズによる『脱埋め込み』の議論でもあり、ピーター・L.バーガーのいう『聖なる天蓋』の終焉の議論でもあった。

これらを通じて共通しているのは、機能のシステムに関する議論が、パーソンズのようなマクロな議論から、次第にマートンの中範囲の機能論や、さらには組織論や、ビジネスプロセスにおけるサイモンの組織の情報処理パラダイムのような設計論へと向かっていくことにより、マネージ可能な範囲の議論として発展していったのに対して、意味のシステムに関する議論は、世俗化論やベックやバウマンの個人化論の中で鮮明にたちあらわれる、すでに埋め込まれたものからの排除の論理という形での、宗教的文化的な埋め込みから離脱しさせられた個人というコンテクストでの議論であった。

これには我々の意味を媒介とするシステムが、伝統社会での意味解釈の再生産や宗教的な意味の管理システムをべつとすれが、近代化の中で国民国家と共生し発達してきた教育システムとマスメディアという「大きな」システムであったことがかなりの影響を及ぼしたのではないかと思われる。

というのも今日我々が世界的規模で直面している意味の急速な流動化は、単にグローバリゼーションの影響のみならず、意味を媒介するシステムそのものが、ダウンサイジングし、グローバル化したことと不可分であろう。意味のシステムは如何に小規模であれ、そこに人が埋め込まれ、あるいは脱埋め込みされるシステムであり、人に生きる価値を提供する場でもある。それがばらけて多元化した世界では、国単位で共通の事実認識を構築することさえ相対化され困難になりかねない。フェイクニュースやエコーチェンバーと呼ばれる今日の意味世界の分断は、我々が認識しマネージメントすることを要請されている新しい現実でもある。国民国家や宗教のような聖なる天蓋から脱埋め込みされた世界では、様々な小さな意味のシステムの多様性とその共存あるいは競争の原理を問うことが、現代社会を理解し、さらに再構築するためには必須となる。

この研究会では、意味システムに関するこのような現代的な課題を取り上げ、意味システムをどのように明示的に論じることができるかについて、広い意見交換と討議を行いたい。